柔道
4月29日(火・祝)に行われた、「
平成20年全日本柔道選手権大会」(私のBlog内記事は
こちら)が終了し、準決勝で敗退した井上康生選手が引退を表明しました。
以下、この試合前の意気込みから引退会見に渡る井上選手とその周りの方の発言を纏めてみました。
- 試合前
- 「自信がついたし、勢いもついたと思う。すべてを出すつもりで頑張りたい」と試合前日の記者会見にて。
- 「やるべきことはやった。腹のくくりが高まってきた」と気負いのない、穏やかな口調で決意を明かした。
- 試合
準々決勝、高井洋平選手に合わせ技一本で敗れ、敗退。
- 「負けたものは仕方がない。でも自分自身の力は出せたと思う。良かった。思い切っていけた」と語り、名言は避けたものの引退が濃厚となった。
- 「これで康生に一つの区切りがついた。立派だった。後輩たちは康生先輩がやってきたことを一つでも二つでも学んで今後に生かしてほしい」と全日本柔道連盟の山下泰裕強化副委員長。
- 「精いっぱいやった上での負け。悔いはないと思う。お疲れさま。私の指導で復活しようと思ったのだろう。だがそれ以上に私が康生から元気をもらった。最高の息子です」とお父さん。
- 「結婚してからあっという間だった。でも本当に結婚して良かった」と亜希夫人。
- 現役引退を表明
- 「5歳で柔道を始めて25年。すべての情熱をささげてきた。わが柔道人生に悔いなし。これでやめようと決めた」と2日、都内で引退表明会見を行った。
- 「自分を育ててくれた柔道に恩返しがしたい。強さはもちろん、愛される柔道家を育てていきたい」
- 「みなさんに愛される井上康生でありたい」「家族を幸せにすること」「柔道に恩返しして、社会に貢献できる人間になりたい」と3つの目標を語った。
- 「一つの時代が終わったと感じる。芸術的な美しい技は見られない。国際感覚を持った世界に通用する指導者になってもらいたい」と同席した恩師の山下泰裕東海大教授が労った。
今後の予定は、年末にも約2年間の指導者研修のために英国へ出発する。
また、来月6月3日(火)に開催される「全日本実業柔道団体対抗大会」にALSOKメンバーとして出場、それが現役最後の試合となる。
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井上康生(イノウエコウセイ) −男子100kg超級
1978年5月15日 綜合警備保障所属
- 実力も然ることながら、皆に愛される有名な柔道家
- 5歳から柔道を始め、数々の大会での優勝を得る
- 全国大会(少年・中学・高等学校・ジュニア体重別)
- 講道館杯全日本体重別
- 全日本柔道選手権(3連覇)
- 国際大会(フランス、ハンガリー、ドイツ)
- 世界柔道選手権(バーミンガム、ドイツ、大阪/3連覇)
- 嘉納治五郎杯国際柔道 などなど
- 2000シドニー五輪にて金メダル(100kg級)
- 100kg超級へ転向後の2005年1月、右大胸筋断裂し長期離脱
2006年11月に復活し優勝を重ねるも、北京五輪には届かず、現役引退を表明
残念ですが…何か、ただ残念なだけじゃないですね。
全日本柔道選手権大会での、試合に負けた時の清清しい笑顔、それが焼きついています。
前にも書きましたが、納得できたというような表情が印象的です。
どうして、井上選手はこれ程までに有名で愛される選手だったのでしょう

勿論、実力は素晴らしいし、残してきた結果はそんじょそこらの人間には無理なことです、はい。
でも何だかそれ以上の魅力を感じる人ですね。
「もう1度カッコイイ姿を見せたかった」と奥さんである
東原亜希さんに言ったら、「充分です」と言われました。
と言っていたというのを何かで見ました。
この言葉、凄いなぁ。
「充分です」と返せる奥さんに脱帽、尊敬、素敵です。
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*当方、平和主義者ですのでお手柔らかに...。